キイハンター 28話は、海外ロケ・沖縄シリーズ後編!アメリカ統治下の琉球・灼熱のサトウキビ畑での死闘と全てを捨てて南の果てに旅立つ逃亡者
第28話 太陽に帰った殺し屋 (共同調査:NWP夏目プロダクツ) |
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仮題 |
<前編>殺人計画招待旅行 <後編>太陽に帰った殺し屋(※準備稿シナリオ#27-28) |
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シリーズ名 | 沖縄シリーズ | |||||||||
放送 | 68.10.12 | |||||||||
脚本 | 池田雄一 | |||||||||
撮影 | 下村和夫(1975年度日本テレフィルム技術賞・受賞) | |||||||||
監督 | 村山新治 | |||||||||
役名(台本) |
大学助教授(川口浩) 宮城(〃) 山本(〃) 水木朋子(高須賀夫至子) 美夏(嘉手納清美) 大阪からの新郎<陳>(高英男) 〃<シーラ>(松岡きっこ) 玩具のセールスマン(今井健二) 推理作家(春日章良) フラワーデザイナー(大泉滉) 牧師(潮健児) 商社マン(大村文武) 高校経論 船員 木村 脇屋 サングラスの外人 少年 少年の母親 沖縄警察の刑事 チャーム化粧品のガイド 機長 整形外科医 回想の宮城 写真屋の親父 ビーチハウスの女の子 魚売りの老婆 農夫 タクシー運転手 |
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出演 | 黒木 | 啓子 | 島 | ユミ | 風間 | - | 松原薫 | - | - | - |
主演 | 黒木鉄也以下全員、松原薫 | |||||||||
ゲスト |
野添ひとみ(キイハンター/松原薫) 高須賀不至子(高須賀不二子) 嘉手納清美 高英男 松岡きっこ(アイフル大作戦・バーディ大作戦、バーディー大作戦/井口マリ) 団巌 日尾孝司 フランツ グルーバー(フランツ・グルーベル) 川口浩(キイハンター/吹雪一郎) |
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某国 | - | |||||||||
協力 |
※ノンクレジット ノースウェスト航空 沖縄ホテル 伊波城観光ホテル(現在) 料亭左馬(現在) |
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ロケ地 |
・那覇空港(旧空港・跡地) ・料亭・左馬(現在高齢者施設) ・伊波城観光ホテル(現在・跡地資料) ・那覇国際通り ・沖縄ホテル(アクセス) ・プラザハウス ・コザ市(現・沖縄市) ・糸満街道(現・331号線) ・糸満漁港 |
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備考 | 後編(沖縄) 松原薫・再登場、最終編 |
キイハンター 第28話 太陽に帰った殺し屋 あらすじ(ストーリー)
沖縄に到着した宮城は那覇空港で再び殺し屋に狙われ、黒木鉄也たちの眼前で恋人の水木朋子を誘拐されてしまう。国際テロ組織の銃撃を受けた津川啓子は負傷。宮城を取り逃がしてしまい、組織に関する手がかりの全てを失ってしまった。
キイハンターは黒木以下全員のメンが割れ、捜査困難な状況に陥る。負傷した啓子は薫探偵局の松原薫に捜査協力を依頼すべく東京へ帰った。
一方、沖縄にもアジトを持つテロ組織は執拗に宮城を追う。そんな時、宮城と同じ顔を持つ男が現れた。琉球大学の山本助教授だ。彼は近々ニューヨークへ向うという。宮城は山本助教授のパスポートと査証、アメリカの大学からの招聘状を狙っていた。山本になりすまし、組織から逃れようと企てる。
秘密捜査を展開する谷口ユミと島竜彦は組織の手に落ち、黒木らは琉球カラテの洗礼を受ける羽目に陥る。
キイハンター 第28話 太陽に帰った殺し屋 解説・見どころ

- 沖縄シリーズ(後編)/アメリカ占領下・琉球ロケ
- 後編は那覇市内、糸満市内、コザ市(沖縄市)
- 琉球カラテVS千葉真一カラテ
- 松原薫が助っ人として沖縄入り
後編。舞台の大半が沖縄ロケである。エキゾチックな風土とアメリカ占領下を印象づける町並み、炎天下でのサトウキビ畑のシーンをふんだんに織り交ぜながらドラマは進行する。琉球カラテの使い手と1対1の死闘を展開する風間くんこと千葉真一氏の格闘アクションも見物。敵の手に落ちたキイハンターたちに迫る恐怖、助っ人として急遽沖縄入りした松原薫のキイハンター救出作戦等、緊迫したストーリーが絶妙。
そして『Gメン’75』ヨーロッパロケシリーズ4部作を思わせるようなクライマックス。番組改編期・期首特番にふさわしい娯楽大作に仕上がっている。
薫探偵局の松原薫が窮地に陥った黒木らキイハンターの助っ人として再登場。華麗なアクションも今回限りで「キイハンター」を降板。なんとも残念な一幕も。
ユミちゃん(大川栄子)が語る沖縄シリーズ

当時の沖縄ロケの思い出をユミちゃん(大川栄子)が振り返る!
なにはともあれまず、ここを読まねばキイハンターは語れません!
キイハンター 当時の雑誌記事

キイハンター初の海外ロケ(アメリカ占領下の沖縄)は「週刊TVガイド」1968年(昭和43年)10月18日号で「沖縄ロケ便り」として見開き4ページで特集された。
燃える太陽の沖縄ロケ

丹波哲郎氏コメント(抜粋)
最大の悩みは、ものすごい数のファンのこどもたち。コザのロケでは整理の警官が出る始末で、一行の宿舎・沖縄ホテルにも押しかけられ、父兄からの依頼で丹波哲郎氏が子供達を説得する一幕もあったそうだ。
「これじゃ、まるでグループサウンズだよ。オレは、真底、みてくれるのがこどもだけでないことを祈るよ」
村山新治監督コメント(抜粋)
「日本と変わらぬ姿の沖縄に驚いた。その沖縄にドル、右側通行、復帰運動がある現実がふしぎに思えるくらいだ。今井正監督が”ひめゆりの塔”をつくったときは、助監督をつとめていたので、沖縄へ着くと早速お参りした。まさに感無量で、とてもここで撮影する気になれなかった。今回のロケでは、沖縄の風土の面白さを出そうとしたので、多少、実際の沖縄よりエキゾチックになるかもしれない。スキッと抜けたきれいな絵がとれたのは さすが南国沖縄だ」
ロケはどこへ行っても、黒山の見物(抜粋)
このロケで悩まされたのは、太陽の熱さだ。気温は日本より低いそうだが、太陽の明るさと熱さはやはり南国。太陽をさえぎるものはなにひとつないサトウキビ畑で撮影をしたとき、スタッフ全員、村山監督まで上半身ハダカになったが、カッコヨサが売りもののキイハンターたちと殺し屋はそうはいかず、おまけにここが、最も激しいアクション場面ときているので、全員背広までグッショリ汗になって川口浩が日射病で倒れ、野添ひとみを大いに心配させた。
川口、野添夫妻の仲のよさも、大いにスタッフを悩ませたものだが、暇をみて首里や中城の史跡を見物。野添のかわらぬ童顔に、沖縄の人は「まるで新婚旅行のふたりみたい」とささやいていた。そのふたりはまた、クラブ琉球ホールで、ダイナミックにゴーゴーを踊って「ほんとにママさんかしら」と、ホステスたちを驚かしていた。
ロケはどこへ行っても、黒山の見物にとりかこまれた。そのうえ、見物からはナマの反応がかえってくる。千葉が得意のアクション場面で、あざやかなはなれ業を見せると、ドッと拍手がわく。出演者のひとつひとつの演技に、ささやきがひろがったり、笑い声が起こったり、飛び出してきたおばあさんが「テレビでみるよりずっとかわいいわよ」と大川栄子の肩をたたいたり。素朴な声援が、いっそうみんなをはりきらせていた。
伊波城観光ホテルは、金武湾に臨む石川市を一望のもとに見下ろす景色のいいところ。このプールでエキストラに出たリリーさんは、新垣梨江子ともいう。混血のミス沖縄で、マイアミビーチでのミス・ユニバースのコンテストにも出演したそうだ。「ラブシーンだともっといいんだけど」と冗談を言いながら、監督から言われたように、ビキニの腰をふってグラマー美人の役をこなしていた。
日本の中の外地?沖縄(続きを要約)
『キイハンター』は当時の沖縄でも放映されていて、視聴率は49.3%もあったそうである。ロケはどこも黒山の人だかりだったとのこと。
協力:伊波城観光ホテル(コチラも詳しい)、沖縄ホテル、料亭<左馬>
ロケ地・那覇空港、国際通り、コザ市(現・沖縄市)、糸満市など
嘉手納清美氏の「花風(はなふう)」と呼ばれる琉球舞踊シーンも堪能できる。まだレギュラーではなく国際テロリスト役だった川口浩氏があまりの暑さの為にダウンするという一幕もあった。
ロケは地元の商店や見物人のエキストラ協力によって順調に進んだ。昼間の那覇国際通りは渋滞が激しく、撮影は困難。朝6時から撮影することになったが、事情を話すと、向こう三軒両隣が店を開けて協力してくれたそうだ。しかし、米国占領下という特殊事情もあったせいか、基地の軍用機が写るアングルでの撮影は許されず、一部の海岸も規制の対象だったとのこと。
劇中に「Gメン75 沖縄シリーズ三部作」同様、ハブを使ったシーンがあったが、依頼したハブ師が現れず仕方なくハブの血清研究所にカメラを持ちこみ、撮影したという苦労話もあったとのこと。ロケ隊は、14名のスタッフで沖縄入り。前編はスリリングな展開、後編は糸満市さとうきび畑等でのアクションが見物。
キイハンター 沖縄ロケ地散策(沖縄ホテル編)

2016年10月28日から3日間で当時の面影が残っている沖縄ロケ地を散策。糸満には行けなかったが、沖縄ホテル、旧那覇空港、国際通り、料亭左馬に足を延ばしてみた。
左馬は高齢者施設建設工事が始まっていて様変わり。その他も同じで1968年の面影が残るのは「沖縄ホテル」のみだった。
ここに宿泊したかったが予約が取れず沖縄ホテルの場所を確認。敷地内、建物の外観は当時の雰囲気そのまんま。次回那覇を訪問する時があればぜひ宿泊してみたい。

キイハンター 当時の番宣写真

